ヨーロッパのへそ SLOVAKIA

佐藤 輝幸

1999年8月25日、成田空港からスロバキアに飛び立ちました。海外へ行くのも、飛行機に乗るのも始めてだったので、不安はありました。それに、僕はスロバキアに行く前は、スロバキア語が何も分からなかったので、これから本当に一年間知らない国で暮らしていけるのか心配でした。その反面、かんばって言葉を早く覚えて楽しくやっていこうという気持ちもありました。

僕が留学したスロバキアという国は、ちょうどヨーロッパの真ん中にあります。スロバキアと聞くとチェコスロバキアを連想する人も多いと思いますが。実際、8年前の1992年までは一緒の国でした。翌年の1993年に分裂して一つの国となりました。ちなみに人口は約500万人です。僕も留学先がスロバキアと決まってから分かりました。その前は、どこに有るのすら分かりませんでした。

日本では知名度があまり無い国なのでスロバキアの情報はなかなか集められませんでした。ましてや言葉の勉強などは出来ませんでした。


(写真1:スロバキアの首都ブラチスラバ)
出発前一番心配していた事は言葉でした。僕は、英語もろくに話せなっかたので、コミュニケーションとれるかどうか心配でした。 でも、なんとかとる事が出来ました。最初のホストファミリーでは、ホストブラザーしか英語が話せませんでした。だからそこでそれ以外の人と話しをする時にはスロバキア語を使わなければいけませんでした。それに、食事の時などには、みんなスロバキア語で会話をしていたので、僕は、全く理解できず一人取り残されたような気分になりました。だから、早くスロバキア語を覚えて、みんな何を言っているのか分かりたいと強く思っていました。それから、スロバキア語の勉強を毎日続けて、三ヶ月後ぐらいに簡単な会話が分かるようになりました。


(写真2:最初のホストファミリーと)
ホストファミリーは全部で四軒でした。最初のホストファミリーでは英語とスロバキア語を使っていましたが、二軒目からはスロバキア語だけで会話をしていました。それぞれの家に、それぞれの特徴があり、面白かったです。日本では、自分の生まれた家しか知ることが出来ませんが、スロバキアでは、四軒も知ることができました。何回かホストファミリーをかえることは、良いことだと思います。

友達は、向こうに着いてすぐにできました。学校が始まる前でしたが、近所に同じクラスの人が住んでいたので、遊びに連れて行いてもらいました。日本では、友達が出来るかどうか不安でしたが、その不安もすぐに解消できました。日本人は珍しいので、よく学校で話し掛けられたりしました。最終的には、数えきれないほどの友達をつくることができました。ロータリー交換留学生の一番の目的を達成することができました。学校では、スロバキア語、英語、歴史、数学、体育、とコンピュータの六科目を勉強していました。しかし、英語と体育以外は殆ど理解することが出来ませんでした。中でも数学は、日本の学校とは内容が全く違っていてとても難しかったです。多分、日本語で授業をやっても理解出来なかったと思います。体育は、サッカー、バスケ、バレーなど球技を中心にやっていました。みんな体が大きいので大変でした。コンピュータの時間は、週七時間で一番多かったです。Eメールだけやっていました。Eメールで日本の家族や友達と連絡を取り合っていました。Eメールはとても便利だと実感しました。


(写真3:学校の卒業パーティーで)
今回の留学で本当の家族と離れて暮らしてみて、初めて家族の有難さが分かりました。この歳でその事を分かっている人は少ないと思います。スロバキアで学んだことはいろいろありますが、それを活かせなければ行ってきた意味がなくなると思います。これからは、何事にもこの一年間の経験を活かしていきたいです。


(写真4:ジリナの教会と広場)